マシバシイネツルカモ

Plastic Chinaから世界を考える

録画してあった「プラスチック・チャイナ」という海外のドキュメンタリーを見た。

www.nhk.or.jp

小さな子供たちが劣悪な環境で生活している姿は、同じ年齢の子供を持つ身として見ていて胃が痛くなる。

中国では、廃プラスチックが有価物なので、欧州、米国、アジアの国々で発生したプラスチック廃棄物は中国に輸入され、各地にある処理場でリサイクル処理されていたそうだ。

2017年12月31日、中国は“洋垃圾(外国ゴミ)”の輸入を禁止した。これにより、この子たちが廃プラスチックに囲まれた生活はできなくなるだろう。

しかし、このことの本質は廃プラスチックや輸入ゴミではない。

結局、我々の社会は富める者がいる一方、貧する者がいるということだ。

 

経済の専門家でも何でもないが、資本主義とは結局全員が富むことはできないシステムだと思う。資本主義とは、電気が+からーへ電子が流れることが重要であることと同様に、富と貧との間の格差のエネルギーで動いているシステムなのだ。

歴史から考えるに、これは資本主義というよりは、人間社会そのものが栄えてきた原理そのもののような気がする。

狩猟採集の時代から、農耕が始まり余剰分の食糧ができてから、その余剰分がどこかに偏ることで、食糧生産に携わらなくてもよい人ができ、その時点で平等性はすでに失われたのだろう。格差が小さいか大きいかだけの違いで、本質的な現代の貧富の差はそこが起源であると思う。

 その格差の間でおきるエネルギーを用いて、人類は他の生物にない繁栄を築いたのだ。

 

とはいえ、だからしょうがいないのだと割り切れるほど出来た人間ではないので思い悩む。身の回りの人間の幸せを守るだけでも割と大変だが、それでも何か他にできやしないかと無い頭を使うのだ。

コミュニケーション能力とは① ~聞く能力~

コミュニケーション能力がまだ少し未熟で、本来の能力を出し切れておらず、勿体ない事例を見受けることがあると思います。助言をするためには、知識や経験をある程度体系化する必要があるため、その点をまとめてみます。

 

私自身も研究所での研究職から企業に入って1番悩んだのが、コミュニケーション能力でした。むしろそれ以前の状態で、何処が足りてないことにより、自分が苦しんでいるのかさえ分かっていない酷い状態でした。

企業に移ってからは、専門知識とコミュニケーション能力が特に必要な職種につきましたが、専門知識のみ強化していたころは、何か見えない限界を常に感じており、実際に社外顧客から「ただ事実のみ伝えてもらっても価値がない」と言われたこともありました。

専門知識とコミュニケーション能力は、どちらも欠かせないものです。専門知識にあたるものが職種によって違うかもしれませんが、高度に分業化が進んでいる昨今では多くの方が同じ状況ではないでしょうか。

専門知識が優れていて、コミュニケーション能力がないという状態は、飲食店で例えると、料理自体は美味しいけれど、テーブルに料理をじかに置くレストランのようなものです。よほどの変人でないとその料理を食べる気は起らないし、大抵の客は怒るのではないでしょうか。

同じ料理でも、料理に合ったお皿にきれいに盛り付けてあった方が断然おいしく感じるはずです。

 

では優れたコミュニケーション能力とはどのようなものを指すのでしょうか。

今回は、その中でも「聞く能力」について書いてみます。

 

上記の本に書いてあるように、

「話を聞く」という行為は簡単なように思えますが、多くの人が知るとおり、残念ながらきちんと聞ける人は少ないです。

話し手に「ああ、聞いてもらってるな」という感覚を持ってもらうように聞くことは、相当の訓練が必要です。また同時に、じつは「人格的な部分」も問われます。

この本の中ではテクニックではなく、話を聞く時の「姿勢」が重要であると述べています。私も経験上、その考えに全面的に賛成です。

聞く姿勢には下記の4つがあるようです。

 

 ①否定してやろう、と思って聞く

これは、人間として成熟していない、子供の態度です。

人の話を否定することで、自分が勝った気になることが目的となっています。

 

②解決してやろう、と聞く

これは①よりもマシですが、成熟した態度とはいえません。

人に教えてあげることで、自分が感謝される、あるいは自分の優越感を確認することが目的となっています。

 

③ただ聞くだけでいい、と思って聞く

これは大人の態度です。

この根底にあるのは「話し手へのやさしさ」です。「私は話してを癒すために、ここにいる。解決はこの人が自分の力でできるはずだ。そして、そうあるべきだ」と聞き手は考えています。

人は、自分の話が大好きで、逆に人の話には興味がありません。それを乗り越えた人だけが「聞くだけでいい」という人たち、大人です。

 

④自分の中に取り込もう、と思って聞く

これは大人の先にある、真の聞き手たちがやっていることです。

③の聞くだけでいい、と思っている人は相手へのやさしさが主となっていましたが、これは「話し手への敬意」がベースになります。端的に言えば「相手から学ぼう」と思っている人たちです。

「それは面白いですね」

「もう少し教えていただけませんか」

「それは意外ですね、なぜそう思われたのか詳しく聞かせていただけないですか」

根底にあるのが「相手への敬意」なので、相手も自分の話が非常にしやすいです。そして「聞いてもらっている」という感覚ではなく、おそらくは「話し合っている」という感覚になります。

 ④以外はすべて、「話し手>聞き手」という上下関係が存在するようにも見えます。

 

これはテクニック論ではありません。相手に敬意を払って聞くという心持が重要であるということであり、人格の問題とも言えます。

 

小手先のコミュニケーションテクニックは、経験を積んだ大人には通用しません。

小手先のテクニックだけを教えてもらっていたころは、自分自身が不器用なこともあり、ちぐはぐなコミュニケーションをとることが多かったのですが、ただ素直に相手に敬意を払って、興味をもって聞くことだけに集中するようになってからは、すんなりとコミュニケーションが成り立つようになりました。

 

これはビジネス全般のあらゆる場面で重要な姿勢ですし、ビジネスを離れたプライベートでも大事であることはいうまでもありません。

 

歴史好きの視点からも見ても、漢を興した劉邦はこの能力が非常に長けていたため、多くの優秀な武将が彼のもとに集まったのだと思います。

python環境構築①

pythonをPCで使う環境の構築は、私のようなプログラミング初心者にはどれがいいのかはよくわかりません。

Python入門教室」、「ニューラルネットワーク自作入門」で別々の方法が載っていたのですが、簡単でかつ見やすい方を紹介します。

 

下記のリンク先にはいり、

https://www.anaconda.com/download/

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Python 3.6 versionの自分のPCにあったinstallerを選んでください。ちなみに私のPCは64bitなので、そちらを選択しました。

後はサイトに指示に従って簡単にインストールができます。

 

使用するときはWindowsの場合、スタートメニューより [Anaconda3 (64-bit)]-[Jupyter Notebook]を選択すると、ブラウザの中でJupyterが起動します。

右上の方にあつNewというボタンからメニューを出して、Python3を選べば、白紙のNotebookが表示されます。

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以上で終わりです。

日本人の海外に対する憧憬について

日本人は海外、特に欧米の文化に関して、妙な憧れというか、まるで教師のような感覚をもっていることが現代にあってもあると思います。

しかし、そのような感覚から脱しないと、常にだれかのお尻を追い回すだけの2番煎じの国のままでいることでしょう。

世界全体がバランスがとれ、平和であれば、別に日本が2番でも3番でも何番でも良いとは思いますが、折角それなりに濃い特殊な文化をもつ国に生まれたため、何故そのような感覚が広く持たれているのかについて素人の一日本人として考えてみたいと思います。

 

最大の原因は何といっても、大陸から離れているという地理的な条件が最大の原因といえるでしょう。

現代でも電車で海外には行けませんが、古代はなおさら行き来は難しいものでした。

日本のほとんどの漁村に、古代、漂着死体に神異を感ずる習風があったようで、やがてその死者に大漁を祈念するようになったようです。

たとえば、島一つで一国とされた壱岐長崎県)に印通寺浦という入江あり、その土地では「唐人神」として、中世のころの若い唐人の下半身が祀られたようです(1)。

また古代から二千年近く、常に海外から新しい洗練した文化・技術が持ち込まれ続けたということもそのような習性をもたらしたといえるのでないでしょうか。

国内で革命的な文化の進歩がなかった原因は、単一民族で特に強力な文化同士の衝突や戦争がなく、そのような進歩が必要とされなかったことからでしょう。

 

現在留学生が減っている理由として、日本でも最新の情報に触れられる環境があることがあると言います。

二千年かけてようやく日本は世界の最前線に立てるようになりました。しかし、その立ち位置における経験はないに等しく、まだまだ弟分根性が抜けていないと一個人である自分自身を見つめなおしても思います。

今後の日本人は、いかに世界を良くするのかを考え、自ら文化や技術を発信していく必要があるのでしょう。二千年の習慣を変えることは生半可なことではないですが、ナショナリズムが進む世界において、何ができるのかを考えることは非常に意義深いことです。

この段階まで進めてくれた先祖たちに感謝し、このバトンを、ちゃんと前に進んで子孫に渡すには何ができるのかを一日本人として考えたいと思います。

 

(1)

 

メディカルサイエンスリエゾン(MSL)になる際に求められる能力

ポスドクから製薬会社社員(メディカルサイエンスリエゾン、以下MSL)になる際に、求められる能力や経験がかなり違います。MSLを目指すポスドクや博士課程学生もどうやら最近は増えているようなので、多少の役に立てばと思い、そのあたりを書いてみます。

MSLに必要な能力は以下の3点です。

  1. コミュニケーション能力
  2. 科学的な判断能力と知識
  3. 英語(論文が読める)

博士号持ちであれば、通常2,3は問題ないかと思います。受ける製薬会社が対象としている疾患に関する研究をしていればなお良いですが、生物・医学系の研究をしていれば、特に問題になりません。例えば募集条件にオンコロジー領域での経験と書いてあっても、オンコロジー未経験者が採用されることはあります。

博士課程持ちがMSL採用試験に落ちる主な原因が1になります。MSLは各疾患領域における著名な医師と面会することが主な業務になります。気難しい(もちろん気さくな方もいる)教授レベルの方々と面会し、相手の機嫌を損ねることなく、科学的な議論ができる必要があります。製薬業界と医師との関係は、昔よりマシになったとはいえ非常にパワーバランスが崩れているため、細かな気遣いが必要とされます。

そのため面接では、あえて圧迫面接をおこない、そのあたりの耐性や能力を見ることもあるようです。

 

ちなみに今まで行った研究の質などはほぼ完全に採用に関係ないため、論文数や各論文の質は全く気にしなくていいです。私は初めて就活をした際は、関係あると思っていました。

よって、初めから製薬会社への就職を目指すのであれば、ポスドク在籍年数は多くないほうがいいです。さっさと企業に入って、企業での就業経験を積んでいることのほうがはるかに重要になります。

掲題から少しずれますが、MSLで数年経験を積むとコミュニケーション能力が自然とかなり磨かれます。ビジネスの社会において、この能力は非常に汎用性が高く、今後様々な場面で長く役に立ちます。

ポスドクがビジネスの社会に飛び込む際の入り口として、MSLという職種は有用な選択肢であると思われます。

Why think, Why not try

 NHK BSでやっている「フランケンシュタインの誘惑」が面白くて偶にみますが、ジョン・ハンターの回が刺激的でした。

ジョン・ハンターは18世紀にいた外科医・解剖学者です。

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番組の中では、天才的な腕をもつが倫理観はない人間のように紹介されていました。

その1例として墓場泥棒から死体を買い、解剖を繰り返していたとの紹介がありました。

しかし背景として、検体という風習がなかった18世紀のイギリスでは、合法的に人の体を解剖する機会が非常に少なかったようです。そのため、教え子に実践的な訓練をさせたい教師や、手術の腕を磨きたい外科医、人体の知識を高めたい解剖学者は、しかたなく法律を犯していたようです。

そのため当時は解剖経験の少ない外科医だらけで技術レベルも低く、消毒や麻酔もないことから、外科手術はかなりの危険を伴っていました。

そこで、ジョン・ハンターの兄であるウィリアムがロンドンに解剖教室を開き、そこで非合法的に集めた死体で授業を開き、好評を得ていたようです。

彼自身は講義で解剖を繰り返していたこともありますが、人体や生命そのものにも非常に興味をもっていたことは確かかとは思います。

しかし生きている人間を手術する際には、患者の体にメスを入れるのは最後の手段と心がけていたようです。

ハンターはさんざん動物実験をしながらも、人間の患者に安易に手術することはなく、どうしても必要だという以外、またおなじ状況で同じ手術をした経験がない限り、手術はすべきでないと教え子に説いていました。

彼が膝窩動脈瘤の新しい手術法を説明する際も、こう話したようです。

「私の理論が少々先走りしていることはもとより承知している。だが、この手術計画を実行する決め手となったのは、理論よりも患者の心情である。この病気の先行きを熟知している患者なら、この手術に賭ける。」

そしてハンターは患者に、このまま何もせずに放置した場合の結果と、自分の考案した手術法をじっくり説明しました。患者はこの提案以外に希望はないと納得し、手術に同意したそうです。

 

ジョン・ハンター子供の頃の話は彼の1面を表しています。姉のドロシーが彼の思い出をこう語っています。

「ジョンは自分がやりたいと思ったことしかやらなかったわ。読書も作文も、とにかくお勉強というものが大嫌いだったのよ」

また彼の性格は、非常に気さくで、生徒から非常に慕われていました。

 

彼の1番弟子である予防接種を世界で初めて確立したエドワード。ジェンナーがいます。

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ジェンナーが牛痘による天然痘の予防法を考えだし、しかしその実行にためらっていた際に、ハンターはこう助言したそうです。

「Why think, Why not try」

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「The life of edward jenner」という本の中で、実際にジェンナーに宛てた手紙の内容が書かれています。

非常にいい言葉だなと思います。

リスクも高い新しいことに挑戦する際は、誰もが躊躇してしまいますが、社会的に意義があるのであれば、挑戦したいものです。

 

19世紀以降の外科手術は基本的に、ハンターが提唱した「観察と実験、科学的証拠もとにする」という考え方に集約されました。

エドワード・ジェンナーが天然痘のワクチン接種を試みた時も、ジョゼフ・リスナーが石炭酸消毒法を試みたときも、その手法の根底にはハンターの主義がありました。それらのおかげで世界中の無数の命が救われました。

彼の教え子の一人である、ウィリアム・クリフトはこう語っています。

「私はあの方にはじめてお会いしたときから、なぜだか理由はわからないものの、この人を正しく評価できる人間は世の中にはいないのではないかという気がしていました。ハンター先生は、時代よりもずっと先に行っていて、そのことが周囲に理解される前に亡くなってしまったのです。」

 

詳細を知りたい方は下記の本をお勧めします。