マシバシイネツルカモ

鈴木敏夫が語るプロデューサーという仕事

久々に示唆に富む素晴らしい記事がありました。ジブリ鈴木敏夫さんが高畑勲監督について述べた以下のインタビューです。
bunshun.jp

まず最初に最初に気になったのは以下の部分です。

 席に着くやいなや、高畑さんは先制パンチを放ってきました。「僕が原作のどこに感動して映画を作ろうと思ったか、そういうくだらない話を聞きたいんでしょう」。以前に電話で話して、難しい人だということは分かっていました。僕はそのパンチをかわし、入念に準備した質問をぶつけていきました。それに答える高畑さんの話は止まらず、気がついたら3時間が経っていました。席を立つ間際、高畑さんは言いました。「取材にならなかったでしょう。記事にはならないですね」。僕はその挑発を受けて立ち、記事を書きました。
 その日から映画の完成まで毎日、高円寺に通い、高畑さんと話し続けることになるんです。そして、完成披露パーティの席上、高畑さんから「あなたのおかげで自分の考えを整理できた」と言われました。僕が映画を作るおもしろさ、プロデューサーの醍醐味を知ったのは、そのときが最初だったかもしれません。

 私自身もMSLとして、その領域の第一線で働く専門家と話をさせていただく機会が多くありました。この話は一流の専門家と仕事をする人間が目指すべき1つの姿ではないでしょうか。

私もどのような方法が、質の高い対談となるのかを常日頃考えさせられてきました。最も目指すべき姿は、相手側も満足し、自分自身も会社として必要な情報を得られることであることは間違いありません。ではどうすればそうなるのか、これが難しいのです。ビジネス本などにもあまり見かけたことがありません。

  1. 専門知識
  2. コミュニケーション力

この2つが重要となります。1は知識を詰め込むという単純な方法で解決します。しかし相手はその道で一流の専門家であり、こちらより知識がある場面のほうが多いです。また専門知識を持っているだけの人間と話していても、ハッキリ言って面白くありません。相手方の満足度を上げるためには2が重要なのです。その2のための1つの回答が

「あなたのおかげで自分の考えを整理できた」と言われました。

ではないでしょうか。

この言葉は話す相手側の評価として最高の言葉だと思います。

鈴木敏夫さんが宮崎駿監督や高畑勲監督と一緒に仕事をし、優れた作品を世に届けつづけた神髄の1つを垣間見た気がします。

仕事以外の視点を持とう

元々アカデミアで研究をしていたこともあり、目の前の仕事にのみにただ一心不乱に集中することが最も良いと考えていました。

企業に入り、ビジネスという混沌とした広い世界で仕事をしていると、目の前の仕事だけに集中するリスクというものが見えるようになりました。

お金、チャンス、面白い事というのは世の中に偏って存在しています。しかも時々刻々移動しています。

目の前の仕事や現在の環境にのみ視点を置いていては、それらが今どこにあるのかが分かりません。そもそも自分にとってのチャンスや面白いことが何なのかに、気づくこともできません

より広い視点で世界を見、自分自身にとってのベストな生き方を見つけるために、先ずは下記の方法をお勧めします。(もちろんすでにとっている方はいると思います。)

 

1.twetterをはじめよう

多くの企業では、SNSは多くの制限がかかっていると思います。私自身も以前はSNSは会社員にとってリスクの方が高すぎると考えていたため、控えていました。

しかし、twetterは必ずおこなった方がいいです。社会人としては必須だと今は考えています。

twetterほど各業界の最新動向がわかる方法はありません。自分とは違う分野の方々を積極的にフォローし、今の世界の最新動向を知り、井の中の蛙から脱しましょう。

 

2.ビズリーチとLinkedInに登録しよう

ビスリーチもLinkedInも転職用のサービスです。転職を積極的に勧めるわけではありませんが、チャンスや面白いことは常に流動しています。同じ能力であっても、ある会社の人は昇進し、ある会社の人は昇進しないなんてことは当然のようにあります。各会社が今必要としている人材というのは、その会社の状況や上司に依存しているからです。

またこれらのサービスに登録することで、自分の市場価値が分かるようになります。

どこが売りで、今後どこを伸ばせばいいのかがハッキリと分かるでしょう。上司との面談なんかよりよっぽど客観的で、ドライな価値が分かります。

今の会社で市場価値より低い待遇であれば、転職すればいいですし、市場価値と同等もしくは高くかってもらっていれば、現職で頑張るのが良いでしょう。

 

人の能力は千差万別で、適材適所がもっと進むことが世の中を良くします。

自分自身のためだけでなく、世の中により貢献するためにも、より適切な場所で働くことを意識することは重要です。

Plastic Chinaから世界を考える

録画してあった「プラスチック・チャイナ」という海外のドキュメンタリーを見た。

www.nhk.or.jp

小さな子供たちが劣悪な環境で生活している姿は、同じ年齢の子供を持つ身として見ていて胃が痛くなる。

中国では、廃プラスチックが有価物なので、欧州、米国、アジアの国々で発生したプラスチック廃棄物は中国に輸入され、各地にある処理場でリサイクル処理されていたそうだ。

2017年12月31日、中国は“洋垃圾(外国ゴミ)”の輸入を禁止した。これにより、この子たちが廃プラスチックに囲まれた生活はできなくなるだろう。

しかし、このことの本質は廃プラスチックや輸入ゴミではない。

結局、我々の社会は富める者がいる一方、貧する者がいるということだ。

 

経済の専門家でも何でもないが、資本主義とは結局全員が富むことはできないシステムだと思う。資本主義とは、電気が+からーへ電子が流れることが重要であることと同様に、富と貧との間の格差のエネルギーで動いているシステムなのだ。

歴史から考えるに、これは資本主義というよりは、人間社会そのものが栄えてきた原理そのもののような気がする。

狩猟採集の時代から、農耕が始まり余剰分の食糧ができてから、その余剰分がどこかに偏ることで、食糧生産に携わらなくてもよい人ができ、その時点で平等性はすでに失われたのだろう。格差が小さいか大きいかだけの違いで、本質的な現代の貧富の差はそこが起源であると思う。

 その格差の間でおきるエネルギーを用いて、人類は他の生物にない繁栄を築いたのだ。

 

とはいえ、だからしょうがいないのだと割り切れるほど出来た人間ではないので思い悩む。身の回りの人間の幸せを守るだけでも割と大変だが、それでも何か他にできやしないかと無い頭を使うのだ。

コミュニケーション能力とは① ~聞く能力~

コミュニケーション能力がまだ少し未熟で、本来の能力を出し切れておらず、勿体ない事例を見受けることがあると思います。助言をするためには、知識や経験をある程度体系化する必要があるため、その点をまとめてみます。

 

私自身も研究所での研究職から企業に入って1番悩んだのが、コミュニケーション能力でした。むしろそれ以前の状態で、何処が足りてないことにより、自分が苦しんでいるのかさえ分かっていない酷い状態でした。

企業に移ってからは、専門知識とコミュニケーション能力が特に必要な職種につきましたが、専門知識のみ強化していたころは、何か見えない限界を常に感じており、実際に社外顧客から「ただ事実のみ伝えてもらっても価値がない」と言われたこともありました。

専門知識とコミュニケーション能力は、どちらも欠かせないものです。専門知識にあたるものが職種によって違うかもしれませんが、高度に分業化が進んでいる昨今では多くの方が同じ状況ではないでしょうか。

専門知識が優れていて、コミュニケーション能力がないという状態は、飲食店で例えると、料理自体は美味しいけれど、テーブルに料理をじかに置くレストランのようなものです。よほどの変人でないとその料理を食べる気は起らないし、大抵の客は怒るのではないでしょうか。

同じ料理でも、料理に合ったお皿にきれいに盛り付けてあった方が断然おいしく感じるはずです。

 

では優れたコミュニケーション能力とはどのようなものを指すのでしょうか。

今回は、その中でも「聞く能力」について書いてみます。

 

上記の本に書いてあるように、

「話を聞く」という行為は簡単なように思えますが、多くの人が知るとおり、残念ながらきちんと聞ける人は少ないです。

話し手に「ああ、聞いてもらってるな」という感覚を持ってもらうように聞くことは、相当の訓練が必要です。また同時に、じつは「人格的な部分」も問われます。

この本の中ではテクニックではなく、話を聞く時の「姿勢」が重要であると述べています。私も経験上、その考えに全面的に賛成です。

聞く姿勢には下記の4つがあるようです。

 

 ①否定してやろう、と思って聞く

これは、人間として成熟していない、子供の態度です。

人の話を否定することで、自分が勝った気になることが目的となっています。

 

②解決してやろう、と聞く

これは①よりもマシですが、成熟した態度とはいえません。

人に教えてあげることで、自分が感謝される、あるいは自分の優越感を確認することが目的となっています。

 

③ただ聞くだけでいい、と思って聞く

これは大人の態度です。

この根底にあるのは「話し手へのやさしさ」です。「私は話してを癒すために、ここにいる。解決はこの人が自分の力でできるはずだ。そして、そうあるべきだ」と聞き手は考えています。

人は、自分の話が大好きで、逆に人の話には興味がありません。それを乗り越えた人だけが「聞くだけでいい」という人たち、大人です。

 

④自分の中に取り込もう、と思って聞く

これは大人の先にある、真の聞き手たちがやっていることです。

③の聞くだけでいい、と思っている人は相手へのやさしさが主となっていましたが、これは「話し手への敬意」がベースになります。端的に言えば「相手から学ぼう」と思っている人たちです。

「それは面白いですね」

「もう少し教えていただけませんか」

「それは意外ですね、なぜそう思われたのか詳しく聞かせていただけないですか」

根底にあるのが「相手への敬意」なので、相手も自分の話が非常にしやすいです。そして「聞いてもらっている」という感覚ではなく、おそらくは「話し合っている」という感覚になります。

 ④以外はすべて、「話し手>聞き手」という上下関係が存在するようにも見えます。

 

これはテクニック論ではありません。相手に敬意を払って聞くという心持が重要であるということであり、人格の問題とも言えます。

 

小手先のコミュニケーションテクニックは、経験を積んだ大人には通用しません。

小手先のテクニックだけを教えてもらっていたころは、自分自身が不器用なこともあり、ちぐはぐなコミュニケーションをとることが多かったのですが、ただ素直に相手に敬意を払って、興味をもって聞くことだけに集中するようになってからは、すんなりとコミュニケーションが成り立つようになりました。

 

これはビジネス全般のあらゆる場面で重要な姿勢ですし、ビジネスを離れたプライベートでも大事であることはいうまでもありません。

 

歴史好きの視点からも見ても、漢を興した劉邦はこの能力が非常に長けていたため、多くの優秀な武将が彼のもとに集まったのだと思います。

python環境構築①

pythonをPCで使う環境の構築は、私のようなプログラミング初心者にはどれがいいのかはよくわかりません。

Python入門教室」、「ニューラルネットワーク自作入門」で別々の方法が載っていたのですが、簡単でかつ見やすい方を紹介します。

 

下記のリンク先にはいり、

https://www.anaconda.com/download/

f:id:chroemon:20180321223907j:plain

Python 3.6 versionの自分のPCにあったinstallerを選んでください。ちなみに私のPCは64bitなので、そちらを選択しました。

後はサイトに指示に従って簡単にインストールができます。

 

使用するときはWindowsの場合、スタートメニューより [Anaconda3 (64-bit)]-[Jupyter Notebook]を選択すると、ブラウザの中でJupyterが起動します。

右上の方にあつNewというボタンからメニューを出して、Python3を選べば、白紙のNotebookが表示されます。

f:id:chroemon:20180321224621j:plain

以上で終わりです。

日本人の海外に対する憧憬について

日本人は海外、特に欧米の文化に関して、妙な憧れというか、まるで教師のような感覚をもっていることが現代にあってもあると思います。

しかし、そのような感覚から脱しないと、常にだれかのお尻を追い回すだけの2番煎じの国のままでいることでしょう。

世界全体がバランスがとれ、平和であれば、別に日本が2番でも3番でも何番でも良いとは思いますが、折角それなりに濃い特殊な文化をもつ国に生まれたため、何故そのような感覚が広く持たれているのかについて素人の一日本人として考えてみたいと思います。

 

最大の原因は何といっても、大陸から離れているという地理的な条件が最大の原因といえるでしょう。

現代でも電車で海外には行けませんが、古代はなおさら行き来は難しいものでした。

日本のほとんどの漁村に、古代、漂着死体に神異を感ずる習風があったようで、やがてその死者に大漁を祈念するようになったようです。

たとえば、島一つで一国とされた壱岐長崎県)に印通寺浦という入江あり、その土地では「唐人神」として、中世のころの若い唐人の下半身が祀られたようです(1)。

また古代から二千年近く、常に海外から新しい洗練した文化・技術が持ち込まれ続けたということもそのような習性をもたらしたといえるのでないでしょうか。

国内で革命的な文化の進歩がなかった原因は、単一民族で特に強力な文化同士の衝突や戦争がなく、そのような進歩が必要とされなかったことからでしょう。

 

現在留学生が減っている理由として、日本でも最新の情報に触れられる環境があることがあると言います。

二千年かけてようやく日本は世界の最前線に立てるようになりました。しかし、その立ち位置における経験はないに等しく、まだまだ弟分根性が抜けていないと一個人である自分自身を見つめなおしても思います。

今後の日本人は、いかに世界を良くするのかを考え、自ら文化や技術を発信していく必要があるのでしょう。二千年の習慣を変えることは生半可なことではないですが、ナショナリズムが進む世界において、何ができるのかを考えることは非常に意義深いことです。

この段階まで進めてくれた先祖たちに感謝し、このバトンを、ちゃんと前に進んで子孫に渡すには何ができるのかを一日本人として考えたいと思います。

 

(1)